日本に仏教が伝来したのは538年頃、現在の朝鮮半島の南西部に位置していた百済の国から伝えられたと言われています。当時、百済の聖明王は高句麗の侵略をはねかえすため、日本を治めていた欽明天皇に軍事援助を求めており、その代償として仏教をはじめ、様々な中国の先進文物を送っていたのです。
その文化交流は欽明天皇が存命中続いており、562年には雌・雄各2頭が役牛として百済から送られてきました。これが、日本に輸入された牛の第一号であると言われています。
これらの牛は主に農耕や運搬用に使われた役牛であり、当初はこの役牛から搾った乳を飲んでいたそうです。その後、平安時代には官営の牧場が作られ、牛が飼育されていたという史実も残っています。
江戸時代になり、日本は鎖国政策によって外国との交流を断っていましたが、長崎を窓口に、オランダと清(現在の中国)の二国とだけは国交を保っておりました。
八代将軍・徳川吉宗が天下を治めていた享保13年(1728年)、吉宗の馬術の師であったオランダ人・ケーセルリングの勧めで、幕府は初めて乳牛を輸入することになり、やってきたのは、雄1頭、雌2頭の3頭の白牛で、御料牧場であった安房(千葉県)の嶺岡牧場で飼育が始まりました。
嶺岡牧場は、安房国の国主でもあった里見義豊が軍馬を養成するために作ったもので、里見氏滅亡後は吉宗が軍馬を養成する幕府直轄の牧場として経営しておりました。周囲17里(68km)、総面
積1,760町歩、飼育馬700頭にも及ぶ広大な牧場であった嶺岡牧場が、日本で初めての乳牛牧場であったのです。