古谷乳業ってどんな会社? about

学校給食や食卓で親しまれ、
地域のみなさまに愛されてきました。
そんな私たちの歴史を楽しくご紹介します。





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1945
はじまりは牛乳の量り売り
創業者・古谷良作は終戦直後に国鉄成東駅前にある商家の軒下を借り、牛乳の量り売りをすることから始め、のちに千葉県成東町津辺(現在の山武市)に牛乳処理工場を構えた。
量り売り時代に使用していた器具 古谷良作は実兄の勧めで軒下での商売を始めますが、「小さくても工場を持ち、そこを拠点にきちんと仕事をすべき」という思い、戦前には親族が営む牧場での仕事や牛乳販売店(東京都世田谷区)経営の経験もあって、11月から約25坪(約82.3㎡)の工場を立ち上げました。
当時、家庭への宅配と量り売りの二本立てでスタートし、宅配では成東町・松尾町を中心に自転車でお届けし、空のビンは洗濯桶の中で一本一本洗っていました。
一方の工場での量り売りは、戦後の余裕がない時代のため極端な伸びは一時的だったものの、容器を持ったお客さまが毎日のように列をなしていたようです。
この成東町を拠点とした乳業は1949年銚子工場の新設に発展していきます。 -
1951
株式会社古谷牛乳店を設立
設立当初の営業範囲は銚子市周辺から茨城県まで広がり、法人化後も社員一丸となった営業活動で売り上げを順調に伸ばした。
1957年にはさらなる発展を目指し、「古谷乳業株式会社」に社名を変更した。1958年の様子 新成東工場落成式の様子 -
1952
宅配エリアの拡大
それまで直営の販売所3店舗で行っていた家庭宅配だったが、牛乳需要の増加に伴い、牛乳の宅配を行う販売店の新設に踏み切った。
旭、干潟、飯岡(現在の旭市内)の3カ所への販売店新設を皮切りに1954年には念願だった県都・千葉市に販売所を新設、1975年には161店舗まで拡大した。
ある地域では「宅配のフルヤ」と言われるほど多くの方に親しまれた。販売に一役買った自販機 小見川販売所 -
1955
ヨーグルト製造開始
発売以来、ビン・カップ入りヨーグルトやドリンクタイプ、味わいだけでなく機能性を重視したヨーグルトなど時代やお客さまのニーズに合わせて開発を行ってきた。
千葉県産生乳を使った「かずさ生乳ヨーグルト」は1997年発売以来、改良を重ね、現在も親しまれている。ヨーグルトの製品群 -
1958
広告宣伝、お客さまとのふれあいへ
1950年代から知名度を高める宣伝活動が本格化。
時代の変化に合わせて媒体は映画館広告・新聞折込み・宣伝カー・道路看板・TVなどと移り、販売地域の映画館を借り切って無料招待映画会なども展開された。
1970年代からはお客さまとのふれあいを目的としたファンサービスにも目を向けていく。1974年からは、「ファンサービスとふれあいの機会」として、家庭宅配のお客さまを全国主要観光地にご招待する旅行企画を10回にわたり実施。
数百名以上のご愛飲者と一緒に観光を楽しみ、直接コミュニケーションを図り、お客さま視点のご意見を聞かせていただく機会をつくっていました。好評を博した、第2回フルヤ牛乳ご愛飲者招待旅行(1976年) -
1959
酪農とのあゆみ
近年の生乳取引との違いもあり、当時の千葉県では壮絶な生乳争奪戦が行われ、更に景気・需要の急激な変動期であったため、生産者にとっても「生乳不足と過剰」が繰り返される厳しいときであった。
当社も集乳地盤確保と拡張のため、酪農家さんの安定を最優先に協力体制を整備した。古谷良作は、創業当時から牧場仕事での経験・知識や想いもあって、酪農家さんとの関係構築を経営において重視していました。
1950年代後半にかけて酪農家戸数・集乳量ともに増加したこともあって、生乳集荷所を設置することなどで酪農家さんの負担軽減や集乳の効率化を推進します。
また、生乳の増加に繋がる支援や融資の補助などの制度を導入して「酪農経営の基盤安定」を願い、生産者との信頼関係構築へ大きな役割を果たしました。
こういった生乳生産者と共存の精神は、現在でも当社の「生乳の魅力・価値をしっかり伝えられる製品づくり」を目指す姿勢などに受け継がれています。 -
1966
初のコマーシャルソング
「フルヤ牛乳のうた」というコマーシャルソングをつくり、宣伝カーで流したり、工場見学者のPRソングとして活用した。
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1976
量販店への販売進出による売り上げ規模の拡大
量販店の台頭が進む中、当社も量販店市場の開拓を推進した。
古くから共に歩み関係を築いてきた販売店経営にも配慮しながら市場の需要に応え、売上規模は順調に拡大していった。千葉販売所(昭和50年) -
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古谷良作(創業者)が文部大臣賞受賞
昭和51年(1976年)、学校給食牛乳振興の功績に対して文部大臣賞を、また昭和62年(1987年)には食品衛生・乳業界発展のために寄与した功績を認められ、勲五等瑞宝章を受賞した。
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1986
コーポレートアイデンティティと企業理念誕生
2代目社長の就任で新生フルヤとなるタイミングに、社内外へ向けて企業理念や姿勢を明確に伝えるため『コーポレート・アイデンティティ運動』を導入。 社員や関係者、一般消費者へのアンケート結果から見えた当社のイメージに基づき、企業理念として「おいしさとふれあいを通じ 健康ライフの明日を創造する」を採用。未来に向けて、当社のあるべき姿をアピールした。 ※コーポレート・アイデンティティ(Corporate Identity)運動…企業理念や社会的価値などを社内外に正確に伝え、その浸透や定着を図る手段の一つ。
この企業理念には、
「おいしさ」=楽しさ、ファッション性
「ふれあい」=コミュニケーション、ヒューマニティ
「健康ライフ」=ヘルシー、シンプルライフ
「明日を創造する」=未来へ向けての創造性 という意味がこめられており、現在のフルヤ像(おいしさ・ふれあい)から未来のあるべき姿(健康ライフの明日を創造)を表現し、社会に対する役割を明確にしています。
また、アンケートで評価のあった『信頼』や『親しみ』などのイメージは変わらず大切に、「『革新性』、『創造性』を持った企業を目指していこう」という意気込みも込められました。当時発行されたブランドアイデンティティニュース -
1987
社員一丸となった大型瓶シリーズでの営業活動
宅配用商品の充実を図るために開発された『大型ビンシリーズ』は、720ml·500mlの2サイズ展開で冷蔵庫保存を想定した画期的なサイズと、多種であることから当時多くのお客さまに親しまれた。
発売当時、社長を含む社員全員でのセールスキャンペーンにも取り組んだ。 -
1991
成田工場の完成、操業開始から
当時は本社工場(千葉市)および銚子工場という二つの工場で生産を行っていたが、集約する形で1991年3月、香取郡多古町に成田工場が完成した。
規模が大きくなったことによる生産能力の向上に加えアセプティックなどの設備の導入、HACCPシステムやFSSC22000(食品安全マネジメント)認証、ISO14001(環境マネジメント)認証の取得により、食品安全や環境への配慮の取り組みを継続している。完成した成田工場